専門的な資格を持っていない。私の仕事にはなんの専門性もない。
周りを見渡すと、高校の同級生は医師や看護師などの免許を持っている人ばかりだ。
次々と資格を取得して「医師」や「看護師」として生きることが決まった友人たちを横目に就職活動をしたのが4年前。50社以上エントリーシートを出して、受かったのは1社だった。大学時代のわたしは、「なにものでもない自分」のまま丸腰で生きることに怯えていた。
先日、看護師の資格を持っている知人が、その資格があるがゆえにどん詰まりのキャリアになってしまったと嘆いていた。働いてみてすぐに看護師が向いていないと気付いたが、看護の勉強以外やってこなかった人間が民間企業に中途で採用されることは難しい。第二新卒に応募できる年齢も過ぎてしまった。だから一生看護師をやるしかないのだ、と。
わかりやすいようにエピソードや免許の名前を脚色して今、上記の説明をしたけれど、だいたいはこんな感じだ。
行きたかった大学に受かり、やりたかった職業につき。順風満帆かに見えた知人の人生。だから、そんなふうに本人が後悔していることは予想だにしていなかった。
まあよく考えてみると、武器がない人こそ、弱い人こそ、逆に強くなれるということもあるよなと思う。
会社でもそうだ。本人にはそこまで高い能力が無いのに、高度な専門性を持った優秀な同僚に助けてもらえるような人がいる。そして、実はそういう人が一番、人間的には無敵だったりする。
個人戦だとどうしても予定調和、想像した通りの人生になってしまう。思い描いた場所にしか行けないから飽きもするしつまらなくなったりもする。閉塞感が生じる。
でもチームで戦える人は強い。良いチームを結成できる人は強い。想像もしていなかった場所に行けるから面白い。
だから、下手に武器がないほうが、下手に資格がないほうが、実は人間的には大きく飛躍できるのかもしれない。武器がないから、周囲に助けてもらうための工夫をすることができる。自分を変えていくことができる。
優秀だから尊敬されるのは当たり前。一番すごいのは、優秀でもないのに人から好かれたり助けてもらえたりする人。そういう人は、きっと予定調和ではない人生を送れるのだ。
「想像以上の人生」を送りたい。
人と関わる事によって嫌なこともいっぱいあるけれど、いろいろな人と手を取り合って、自分のちっぽけな範囲の「想像」を超える世界を見てみたい。